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諸藤将次、母に捧げるツアー初勝利!36ホール短期決戦制す [ゴルフ]


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最後まで集中力を切らさず短期決戦を制した(撮影:米山聡明)<フジサンケイクラシック 第2ラウンド◇4日◇富士桜カントリー倶楽部(7,405ヤード・パー71)>

 台風12号の影響で進行が大幅に遅れ36ホール短縮競技となった、国内男子ツアー「フジサンケイクラシック」。この超短期決戦をツアー6年目の26歳、諸藤将次が逃げ切りで制し念願の初優勝を達成した。
遼、大会3連覇の偉業達成はならず…後半の足踏みが響く

 2位と2打差の単独首位で最終ラウンドをスタートした諸藤は前半から猛スパート。3番、4番と連続バーディを奪うと、その飛距離を武器に6番パー5もバーディを奪取。7アンダーで独走態勢に入る。しかし、少しずつ初優勝のプレッシャーが26歳にかかり始める。8番でボギーを叩くとハーフターン後の12番でもボギー。「ちょっとドキドキしだしてしまった」と気持ちを乱すと続く13番でもボギーを叩きスコアはスタート時の4アンダーまで後退してしまう。しかし、「キャディが“ここからだよ”と何回も言ってくれた」相棒に背中を押され前を向くと14番でバーディを奪取。これで悪い流れと共にプレッシャーからも吹っ切れた。

 その後は安定したプレーを続け、17番パー5でバーディ。18番もきっちりパーをセーブし2位に3打差をつけトータル6アンダーでホールアウト。変則ラウンドでスコアの悪い選手が午後組としてプレー中だったため、スッキリ優勝者としてコールされることはなかったが、今季から練習ラウンドを共にする小田孔明らからはグリーンサイドで水をかけられる手洗い祝福。「ああこれか」いつも見ていた優勝の光景が自分のものとなった時実感がこみ上げた。

 福岡県出身の26歳。沖学園高校時代はナショナルチームに選ばれるなど、同級生の池田勇太と並んで注目を集める存在だった。高校3年で出場した2003年「久光製薬KBCオーガスタ」ではプロを抑えてドライビングディスタンス1位に輝くなど、早くから才能の片鱗を見せていた。しかし、プロに入ってからはQTを通過したり落ちたりの繰り返しでツアーに定着もままならない。3年目に入ると最大の魅力である飛距離を捨てて正確性を追い求めたが結果は出ず、アマチュア時代の輝きは完全に失われていた。

 しかし、くすぶっていた昨年2月。誰よりも諸藤を応援してくれていた最愛の母・孝子さんを亡くすと「お母さんのために頑張ろう」と燃えるものを取り戻した。180センチで62キロしかなかった体重を鍛えなおすべくトレーニングに励み、全身を鍛えなおすと共に5キロ増量。持ち味の飛距離も取り戻しQTを通過すると、今回訪れたチャンスをすべてをぶつけてモノにして見せた。

 少し遅めの表彰式では「母のために早く1勝を挙げたかった。一番心配してくれていたのが母だったので…」と涙を浮かべたベビーフェイスのチャンピオン。駆けつけた兄誠一さんの腕に抱かれた母の目にもその晴れ姿は焼きついたはずだ。

【最終結果】
優勝:諸藤将次(-6)
2位:マーダン・ママット(-3)
3位T:キラデク・アフィバーンラト(-2)
3位T:小田孔明(-2)
5位T:石川遼(-1)
5位T:薗田峻輔(-1)
7位T:伊佐専禄(E)
7位T:岩田寛(E)
7位T:ベ・サンムン(E)
7位T:星野英正(E)
11位T:藤田寛之(+1)他5名


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2日たっても1ラウンド消化できず…ツアー初競技不成立の危機


http://news.livedoor.com/article/detail/5835308/
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やっぱり沢!なでしこ連勝けん引、五輪へ前進!


 ◇ロンドン五輪アジア最終予選 日本2-1韓国(2011年9月3日 中国・済南)

 なでしこジャパンは3日、韓国と対戦し、2―1で勝って2連勝を飾った。1日のタイ戦で温存されたMF沢穂希(32=INAC)は先発復帰し、W杯ドイツ大会決勝と同じベストメンバーで臨んだチームを攻守にわたってけん引した。前半10分にはMF阪口夢穂(23=新潟)が先制弾。1―1で迎えた前半46分にMF大野忍(27=INAC)が決勝ゴールを決めた。日本は勝ち点6とし、単独首位。5日の第3戦では最大のライバル・オーストラリアと激突する。

 W杯MVPの存在感を見せつけた。1―1の前半46分だった。左サイドを抜け出した沢が体勢を崩しながら中央へパスを送ると、川澄から大野へと渡って勝ち越しゴールが決まった。W杯決勝メンバーで臨みながら本来のパスサッカーができず、嫌なムードが漂い始めた中で、INACに所属する3人でつないだ貴重な決勝点の起点となったのは、やはり沢だった。

 「自分にとっては初戦だったので結果が全てでした。そう甘くはなかったし、勝ちはしたけど負けたような感じです」

 なでしこジャパンを6カ国の中で唯一となる連勝スタートに導いた大黒柱はまず反省を口にしたが、試合開始直後の攻勢は背番号10が導いたものだった。前半1分、積極的にゴール前に飛び出してシュートを狙った。相手GKに阻まれたものの、チームに攻撃に出るというスイッチを入れた。逆に1点のリードを守る終盤には体を張って何度もピンチの芽を摘んだ。「久しぶりに相手選手を追うような感じで、しんどい試合だった。ミスもあったし、DFの入りもバランスが悪かった。中盤もぽっかり空いて間延びして、そのスペースを相手に使われた」と最後まで手厳しかった。

 後半のスタートからは佐々木監督の指示で4―1―4―1のシステムに変更したが、なかなか機能しなかった。後半途中にはピッチ上の“指揮官”でもある沢の判断で4―4―2に戻した。試合後には「あすにも(4―1―4―1の)トレーニングをやりたい」と佐々木監督に伝えており、新システムの習得、修正にも貪欲だ。

 誰よりもこの五輪予選の重要性を感じていた。00年のシドニー五輪は予選で敗退して出場権を逃し、女子サッカーの人気はちょう落。08年の北京五輪では4位と躍進したが、盛り上がりは一瞬にすぎなかった。

 そして今、女子サッカーはかつてない注目を浴び、国民栄誉賞受賞で重い肩書も背負うことになった。だが、この予選で敗退すれば、なでしこリーグや女子サッカー界が再び勢いを失ってしまうかもしれない。15歳で代表デビューし、女子サッカーの苦難の歴史とともに歩んできた沢だからこそ「これで終わりにしてはいけない」と誓っていた。

 5日には中1日の強行日程で最大のライバル、オーストラリアと激突する。過去の対戦は6勝6分け5敗の相手だが、勝てば3大会連続の五輪出場に王手がかかる大事な一戦だ。「オーストラリア戦は失敗しないようにしたい」。5戦全勝を宣言した以上、沢にとっては強敵もロンドンへの通過点にすぎない。


http://news.livedoor.com/article/detail/5834476/
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